はみ出し者、大歓迎。「まだまだいけるぜ」の姿勢で、自分の強みを研ぎ澄ませよう
創造コースの先生って、どんな先生がいるの?
そんな疑問に答えていく先生インタビュー!
今回は、創造コース2年生の担任・髙木草太先生に話を聞きました。
それぞれ違う朝を過ごして、ここに来ている
ーー髙木さんが先生になろうと思ったきっかけについて教えてください。
僕は日本でインターナショナルスクールを卒業後、オーストラリアの大学に進学しました。就職活動のタイミングで日本の就活イベントに参加していたときに、皆同じようなリクルートスーツに身を包んで、髪もきっちりして、企業の担当者に良い印象を抱いてもらえるように「他所行きの自分」を作っている姿に、なんだかとても居心地の悪さを感じて。「これ、僕は頑張れないな」と思ったんです。
当時の自分には、やりたいこともなりたい職業も特になく、ましてや学校の先生になるなんて道は、なんだか既によく知っている道に石を置きにいっているような、チャレンジ精神がない感じがして、自分の中では前向きな選択肢として映ってはいませんでした。とはいえ、「将来」はすぐそこまで来ている...。どうしようかなぁと思いながら、ふらっと高校の頃の先生に会いにいったんです。その先生も海外を転々とされてきた方で、なんとなく、ただ会って雑談がしたいなと思ってのことでした。
その日は本当に、ただ雑談をしただけで終わったんですが、卒業して数年たった今でもわざわざ会いに足を運ぶくらい、先生は自分にとってすごくインパクトを与えてくれた人だったんだなと、帰宅してから実感しました。
それまで教育というフィールドで働くことはおろか、教育を与える側の人にさほど興味を抱いたこともなかったのですが、その先生に会ったことで、「教育は既に世の中にある知識を分配しているだけのもの」というイメージから、「新たに何かを生み出し、継承されていくもの(ただ、それが少し見えにくいだけ)」というイメージに変わりました。
そこで、教育を勉強し直そうと思い、大学卒業後はそのままオーストラリアの大学院に進学して教員免許を取得し、帰国後に教員になったというわけです。
ーー実際に先生になってみて、どんなことを感じましたか?
最初に感じたのは、自分が生徒だった頃に見えていた教室の景色と、先生になってから見えている教室の景色は、こんなにも違うものなのか、ということでした。衝撃的でしたね。
自分が生徒だったときの教室の見え方は、視野が自分中心で、先生の方ぐらいしか視界に入っていなかったと思います。それが、今度は教員として教室に立ってみると、当たり前なんですが、この空間にいるのは自分だけじゃない。他にも数十人という生徒たちの存在があって、その一人ひとりにバックグラウンドがあるんだということを実感しました。
普段、今自分が会っている人に、その直前まで何があったかなんて意識することはあまりないと思うんです。でも、教室にいる子どもたちにはそれぞれの朝があって、皆そうしたそれぞれの朝を過ごしてからここに来ているんですよね。そういった、各々のバックグラウンドを意識せざるを得ない教室という場所は、今の僕にはすごくおもしろい空間として映っています。
ーーちなみに、高校生の頃の髙木さんはどんな生徒だったんですか?
先生からすれば、かなり扱いにくい生徒だったと思います(笑)。勉強は得意だったけれど授業態度はあまり良くなかったし、自分が敬意を持てると判断した先生と、そうじゃない先生に対する態度が露骨に違っていたと思います。
何かに打ち込んだこともあまりなくて、それが悩みでした。部活に打ち込むにも、僕が通っていたインターナショナルスクールでは3カ月ごとに違う部活に変わるスタイルだったので、深める機会もなくて。
特筆できるものや自信を持って胸を張れるような何か、無我夢中で没頭できるようなことが自分には何にもないな、というジレンマをずっと抱えていましたね。だからなのか、今、創造コースの生徒たちが何かにのめり込んでいる瞬間に立ち会えることがすごく好きだし、全力で頑張れる何かを見つけられている生徒たちがすごく眩しく見えます。
自分の武器となるものは、絶対にあった方がいい。僕自身は、教育というフィールドの中でようやく自分の武器を見つけられたけれど、少し遅かったなとも思うので、高校生のうちから強みの種を一緒に見つけていけたらいいなと思っています。
自分の「変」を、武器になるぐらいまで研ぎ澄ます
ーー髙木さんは現在、創造コースの2年生の担任をしていますが、生徒たちの様子はどうですか?
新年度がスタートした最初の4カ月間は、生徒たちのモチベーションにすごく波があったことが印象的でした。というのも、生徒たちと個別に話すと、皆すごくいろいろなことを考えていて、輝いている一面を見せてくれるんです。
その一方で、集団としての活動になると、意外と個を潜めてしまうというか、既にでき上がっている環境や空気感を大事にし過ぎるところがあるように感じられます。特にまだスタートして間もない時期だった中間プロジェクトでの発表は、生徒たちのモチベーションをうまく維持することができず、想定した形にはなりませんでした。モチベーションを邪魔するような殻は、これから徐々に崩していきたいですね。
ーー具体的にどんなプロジェクトに取り組んでいたのですか?
私が担任を受け持つ高2の創造コースのテーマは、「善」。善悪について、いろんな側面から考えていくというプロジェクトに、中間から期末にかけて取り組んできました。
中間までの期間は、「善悪」を考える上で基準というものがあり、その1つとしてルールがあるよね、という話をしていたので、中間発表では「皆の成長につながるようなルールを作ってみよう」という課題を出して、ルールメイキングに取り組みました。
自ら作ったルールを、実際に学校生活の中で施行してみるところまでやってもらおうと考えて生徒たちに任せてみたのですが、結果、ルールは作ったものの、施行するまでには至りませんでした。生徒たち自身が、「やりたい!」という主体的な姿勢にあまり向かわなかったどころか、どこか面倒に思う雰囲気が感じ取れて...。
生徒たちのモチベーションが熱いうちに、僕の方でもっと適切な環境設定をしてあげられていたら、生徒たちも本当にやりたい方向を見つけて主体的に動き出せていたかもしれない...と、すごくモヤモヤしました。
僕たち教員が意識的に導いていく部分と、生徒たちの自主性に任せる部分とのバランスを、どううまく図っていくか。創造コースでは、教員である自分の力量も問われているなと感じています。
ーー創造コースのエキシビジョン(発表)を拝見した際、生徒たちができるだけ多様な物差しを持てるように、さまざまな工夫がされていると感じました。多様な物差しを持てるようになることは、創造コースが大切にしていることの一つなのでしょうか?
そうですね。ただ、「もっと多様な評価軸を」といった話をすると、よく「皆違って、皆いい」という世界観を目指しているのかと捉えられるのですが、そういうわけではありません。むしろもっと緊迫感がある感じで、「もっと尖っていこう!目指したい世界に向かって、怖がらずに行こう!」という世界観が理想的だと思っています。
自分の「変」を、武器になるぐらいまで研ぎ澄ますようなイメージを持って高校の3年間を過ごせたら、卒業後の次の一歩を、大きな自信を持って踏み出せるんじゃないかと思うんです。そういう世界観を作ることが、僕が創造コースで一番やりたいことですね。
ーー生徒たちが思う存分自分の強みを磨くために、髙木さんが心掛けていることについて教えてください。
1つは、教員である僕自身が、いろいろなことをおもしろがること。これは生徒たちの好奇心を潰さないという意味でも大事なことだと思っています。
もう1つは、「その程度で満足してはダメだよね」というニュアンスのことを伝えて、期待値を上げ続けること。生徒たちには、基本的にはポジティブなフィードバックをしますが、「でもだからといってそこで完結していいということではないよね、もっと磨けるよね」という確認を、都度入れるようにしています。
生徒たちには、歩みを止めるのではなく、「まだまだいけるぜ」という姿勢で、自分の強みをどんどん研ぎ澄ませていってほしいと思っています。
社会側が困ればいい、社会の方が成長したらいい
ーー髙木さんにとって創造コースを一言で表すなら、何になりますか?
創造コースは開設2年目でまだまだ作りかけの段階ですが、今作っているものを言語化するならば、「“自分”があって、その“自分”に合った成長の仕方が見つけられていて、そこに向かって踏み出している生徒たちが集まる学び場」かなと思います。
授業作りに関しても、既存の考え方ややり方を前提にして、事前準備を入念にするような形ではなくて、その授業に合わせて、1回1回、オリジナルのプログラムを作ることを大事にしています。
個人的なこだわりですが、創造コースの授業構成を考える工程がすごく楽しくて。この活動や体験が、こんな気づきやメッセージにつながって、さらにその次の活動や体験につながっていって...といった流れや、関係ない事象に見えて実は連なっているようなプログラムが作れた瞬間は、とても気持ちがいいです。少し自己満足も入っていますが(笑)。
でもそれだけ、僕を含めた創造コースの先生たちは、自分たちが楽しみ、おもしろがりながらカリキュラムを作っています。
ーー創造コースを選択した生徒さんたちに、どんな風に成長していってほしいですか?
僕たちは、真の意味での多様性というものが社会に飛び出していく仕組みを作っているような感覚でやっています。
よく、「変」とか「人と違う」といった側面は、社会に受け入れられるかどうかという視点で語られがちですが、そういう次元の話じゃない気がするんですよね。本当の意味での多様な社会とは、いろいろな武器を持つ一人ひとりが、ただ当たり前にそこに在る社会だと思うんです。
今、創造コースで学びながら、自分の個性を強く意識して、多様性を研ぎ澄ませている子どもたちが社会に飛び出していったら、社会側は困ると思うんです。でも、僕は「社会側が困ればいい、社会の方が成長したらいい」とも思っています。
生徒たちは、創造コースという場所でやるべきことをしっかりやり、成長してきたからこそ、自分が自分のまま、世界に飛び出していける。そこで世界が驚いたら、今度は世界が、そんな生徒たちが当たり前に存在していられるように成長したらいい。創造コースの生徒たちには、そんな風に考えて、自分に自信を持って成長していってほしいですね。
ーー最後に、創造コースへの進学を希望する方に向けてメッセージをお願いします。
創造コースへの進学を選択してくれたり、検討してくれたりしている子たちの中には、もしかしたら、何かしらの形で自分は「はみ出し者」だと感じている子もいるかもしれません。でも、それは全然悪いことじゃない。
人と違う進路選択であることが気にかかっていたとしても、勇気を持って人と違う選択肢を選んでここに来ていること。あるいは、「自分が自分のままでいいんだ」と思える場所を探しに来ていること。それだけで既に強さを兼ね備えていると思うし、とても美しく尊いことだと思っています。
だから、「はみ出す」ことを怖がらないでほしい。ぜひ自分の選択に勇気と誇りを持って、創造コースへ来てください!とお伝えしたいですね。